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プロフィール と 経歴

桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大阪府八尾市生まれのプロ野球選手(現役期間1986年 - )。ピッツバーグ・パイレーツのマイナー所属の投手。右投右打。背番号は52。身長: 174cm、体重:80kg。

投手としては恵まれない体格ながら、理想的な投球フォームと、野球に取り組む真摯な態度によって、彼を模範とするプロスポーツ選手も多い。高校球児の憧れの存在で、新人選手の目標とする選手に多くあげられる。現在ボーイズリーグの麻生ジャイアンツの会長も務めている。

なお、他球団の略称方法と異なるが「読売ジャイアンツ」は「巨人」という略称でこれを指すのが一般的であるためここではそれに従う。

経歴
高校時代から清原和博ともにクリーンナップを打ち、プロに入ってからも打撃には定評がある。打者として本塁打7本を記録しており、現役の投手では中日ドラゴンズの川上憲伸と並んで1位である(史上1位は金田正一の36本、ただし投手として出場した時のみ)。その為色々なエピソードが生まれている。

守備のうまさにも定評があり、幾度となくゴールデングラブ賞を獲得している。その守備はバントの名手川相昌弘をもってして「バントが一番決めにくい投手」と言わしめた。


プロ入り前
PL学園高校出身。高校野球で活躍し、同期の清原和博とともに「KKコンビ」と呼ばれる。高校野球激戦区の大阪府から甲子園に出場可能な5回(1年生時の春の甲子園は入学前なので5回となる)全てで出場。そのうち4度決勝に進出し優勝2回(1年夏と3年夏)。1983年、1年生で背番号「11」ながら夏の甲子園に同校の事実上のエースとして出場。水野雄仁を擁して3大会連続甲子園優勝を目指した「やまびこ打線」の池田高校(徳島)を準決勝で7対0と破り、決勝では横浜商業を3対0と下して優勝を飾り、学制改革以降最年少優勝投手の記録を立てた。1984年の2年生での春夏の甲子園はいずれも接戦で敗れ準優勝。1985年、3年生のときは春はベスト4、夏は決勝戦で宇部商を下し優勝。甲子園での通算勝利数は歴代2位で学制改革以後は1位。打者としての才能にも優れ、甲子園通算本塁打数も清原和博に次ぐ歴代2位(6本)である。高校通算25本塁打。5回の大会のなかで桑田・清原のいたPL学園を完璧に抑えたのは、高校3年春の甲子園準決勝で対戦した渡辺智男(後に西武ライオンズ→福岡ダイエーホークス)のいる伊野商業だけだった。

1985年のドラフト1位で巨人に入団。このとき、桑田は早稲田大学進学を希望し他球団が指名を敬遠していたことから、巨人との密約が囁かれる。


プロ入り後
1986年5月25日の中日ドラゴンズ戦でプロ初先発。同年6月5日の阪神タイガース戦で初勝利を初完投で飾る。2年目の1987年に15勝6敗の成績を挙げ、2.17で最優秀防御率のタイトルに輝き、先発投手を賞する沢村賞に選ばれた。藤田元司独特の先発理論から斎藤雅樹、槙原寛己と共に3人の先発の軸として使われ「三本柱」と称された。この年より1992年まで6年連続2桁勝利。このころは最も輝かしい黄金時代だったと言える。高卒の選手がこれほどの活躍をしたのは、近年では松坂大輔など数人しかいない。

1990年には登板日漏洩疑惑が持ち上がった。この疑惑は事実ではなく、制裁はなかった。しかし疑惑の調査において桑田は金銭と高級腕時計の受領があったことを球団に虚偽報告し、後に虚偽報告をしたことを申し出た。これがプロ野球選手の統一契約書第17条(模範行為)(外部リンク)に違反するとして、球団から謹慎1ヶ月と罰金1000万円の処分を受けた。1994年には、10.8決戦(プロ野球史上初めて同率で並んだチームでの最終戦直接対決で優勝を決めることになった試合)で、7回からリリーフ登板。3回を無失点に抑えて胴上げ投手となる。

1995年6月、対阪神タイガース戦において、湯舟敏郎選手の放った三塁線沿いの小フライ捕球の際に、右肘側副靱帯断裂の重傷を負った。手術のため渡米。1995年残りシーズンと1996年を棒に振り、1997年にカムバックした。カムバック時のマウンドに跪き、プレートに右肘をつけたシーンは有名で、この後復帰した投手やシーズン初登板の投手が同じ姿勢を取る姿が見られる。復帰した同年は10勝、翌1998年には最多勝争いに加わる16勝を挙げたが、手術前のようなボールのキレは見られず、以後投手としての新たなスタイルを模索して精彩を欠く。この間、先発、中継ぎ、抑え、敗戦処理とジャイアンツでの起用方法も迷走を続けた。

2001年オフ、ともに巨人の一時代を築いた斎藤、槙原、村田真一が引退。自身も引退を決意する。しかし、長嶋茂雄に代わって巨人監督に就任した原辰徳から「来年も一緒にやろう」と声を掛けられ、現役を続行。すると2002年、古武術を応用した独自の投球観を実践し復活。4年ぶりの二桁勝利(12勝6敗)、15年ぶりの最優秀防御率(2.22)のタイトル獲得でチーム日本一に貢献した。15年の期間を経ての主要同一タイトル獲得はプロ野球歴代1位の最長記録。特に同年4月19日の阪神タイガース戦(甲子園球場)で井川慶と演じた投手戦は、名勝負の一つと言えるだろう。試合は0-0のまま延長戦に入り、巨人が福井敬治のソロホームランで勝利した。しかし、2003年以降は再び精彩を欠くようになり、2005年は登板がなかった1996年を除いて初めてシーズン0勝に終わってしまう。このためシーズン中盤頃から引退が囁かれるようになったが、正念場の試合では先発として最低限の仕事を果たしたこと、若手の手本足りえる存在であることなどが考慮され2006年も現役続行が決まった。

2006年9月23日、球団のホームページにある自身のページで今シーズンで退団を示唆する内容の執筆をした。現役を引退するのか、他球団で現役を続行するのか、今後の動向が注目されていたが、11月2日、2007年シーズンよりアメリカ大リーグに挑戦することを表明した。

巨人のユニフォームでの最後の日となったのが11月23日、東京ドームで行われた「ジャイアンツ・ファンフェスタ2006」、イベントの最後に「18番 桑田真澄の野球は、心の野球です。今はただ感謝の気持しかありません。(略)…さようなら、そして21年間本当にありがとうございました」と挨拶し、21年間在籍した巨人に別れを告げた。

2006年12月20日、ピッツバーグ・パイレーツは桑田とマイナー契約を結ぶことで合意すると発表した。日本人でパイレーツと契約は、マイナーを含め桑田が第1号になった。[1]


略歴
身長・体重:174cm 80kg
投打:右投右打
出身地:大阪府八尾市
血液型:AB型
球歴・入団経緯:PL学園高 - 巨人(1985年 - 2006年) - パイレーツ(2007年 - ) 
FA行使:2002年(行使残留)
プロ入り年度・ドラフト順位:1985年(1位)
英語表記:KUWATA
推定年俸:50万ドル(約5750万円)
守備位置:投手

年度別成績(2006年まで)
年度 所属 試合数 勝数 敗数 セーブ 先発 奪三振 防御率 失点 自責点 勝率 投球回数
1986年 巨人 15 2 1 0 12 57 5.14 36 35 .667 61(1/3)
1987年 28 15 6 0 27 151 2.17 59 50 .714 207(2/3)
1988年 27 10 11 0 27 139 3.40 80 75 .476 198(1/3)
1989年 30 17 9 0 30 155 2.60 77 72 .654 249
1990年 23 14 7 0 22 115 2.51 58 52 .667 186(1/3)
1991年 28 16 8 1 27 175 3.16 89 80 .667 227(2/3)
1992年 29 10 14 0 29 152 4.41 112 103 .417 210(1/3)
1993年 26 8 15 0 26 158 3.99 85 79 .348 178
1994年 28 14 11 1 27 185 2.52 65 58 .560 207(1/3)
1995年 9 3 3 0 9 61 2.48 22 18 .500 65(1/3)
1996年 怪我のため登板なし
1997年 26 10 7 0 26 104 3.77 68 59 .588 141
1998年 27 16 5 0 20 116 4.08 88 82 .762 181
1999年 32 8 9 5 20 100 4.07 69 64 .471 141(2/3)
2000年 30 5 8 5 10 49 4.50 43 43 .385 86
2001年 16 4 5 2 8 31 4.83 29 27 .444 50(1/3)
2002年 23 12 6 0 20 108 2.22 51 39 .667 158(1/3)
2003年 14 5 3 0 13 46 5.93 48 47 .625 71(1/3)
2004年 16 3 5 0 16 39 6.47 58 57 .375 79(1/3)
2005年 12 0 7 0 12 34 7.25 43 40 .000 49(2/3)
2006年 3 1 1 0 3 5 6.94 11 9 .500 11(2/3)
通算 442 173 141 14 384 1980 3.55 1191 1089 .551 2761(2/3)

2005年まで。
各年度の太字はリーグ最高。

獲得タイトル・記録
最優秀選手:1回
1994年
最優秀バッテリー賞:1回(94年相方は村田真)
沢村賞:1回
1987年
最優秀防御率:2回
1987年、2002年
最多奪三振:1回
1994年
ベストナイン:1回
1987年
ゴールデングラブ賞:8回
1987年、1988年、1991年、1993年、1994年、1997年、1998年、2002年

エピソード
実弟の桑田泉は兄と同じくPL野球部出身で青学で教員免許取得したが、現在はプロゴルファー。
高校進学後はパーフェクト リバティー教団を信仰するようになり、小遣いの殆どは御布施に回していたという。試合中はユニフォームの下にアミュレットを忍ばせていた。プロ入り後も経典を読むのを日課にしており、入団当初のバッシング時の心の支えにしていたという。
投球前にボールに向かってお祈りをするのは有名であるが、当初はボールに向かって何をぶつぶつ言っているのかと話題になった。
様々なトレーニングを実践することでも知られ、2001年オフには甲野善紀の武術を取り入れた。
趣味はピアノ、ワイン、英会話。英会話は独学で英語が喋れるまでになった。ウォーレン・クロマティやビル・ガリクソンとの友情も有名で、特にガリクソンは息子にクワタの名を付けたほど。余談ではあるがクロマティは息子にオーの名前を付けている。
自主トレは毎年、彼を慕う後輩らとともにオーストラリアのケアンズで行っている。三澤興一や岡島秀樹など、桑田を慕ってともにトレーニングを行う選手は少なくないが、かつてその中には韓国人投手の趙成珉も居た。趙も同じく右肘を手術した経験を持ち一時は自暴自棄にもなりかけたが、桑田から「リハビリをすれば必ず良くなるから」と促されトレーニングを続けた。残念ながら巨人ではその後僅か2勝しか出来ずに一度は引退したが、2005年シーズン中に韓国で現役復帰。「桑田さんは尊敬できる人」と語っている。
1999年と2000年にはジャイアンツの選手会長を務めた。
人の名前を覚えられない事で知られる長嶋茂雄を語るときに桑田が「くわだ」と呼ばれていたという話がよく持ち出される。
PL野球部の先輩で、大学時代に試合中に不慮の事故で首から下が不随になった清水哲の支援を、清原らとともに現在も続けている。
自身のホームページ「PICHEO DE CORAZON」(ピチェオ・デ・コラソン=スペイン語で心の投手の意)を持っている。HPは、ファンクラブに入会し、会費を支払わないとほとんどのページが見られない。

手術にまつわるエピソード
1995年の右肘手術後、投球練習もままならない桑田はさすがに打ちひしがれた。その時高校時代からの盟友でありライバルである清原和博に「お前が本当に使いモンにならんようになったら、ワシが一番最初にお前にいうたる」と清原らしい激励を受け桑田は涙した。
手術後、ボールが投げられない期間が続いたが「ボールは投げられなくても、下半身は鍛えられる」とジャイアンツ球場の外野をただランニングし続けた。桑田が走り続けた部分は芝が剥げ上がり「桑田ロード」と呼ばれるようになった。

打撃にまつわるエピソード
2005年終了時の通算安打数は192、うちホームランは7本。通算打率は.217。2002年には代打として起用され、安打を放ったこともある。
かつて好投する桑田の代打に大森剛が告げられたとき、解説をしていた江本孟紀が「桑田に代打を出すなら桑田より打つ打者を…」と言ったこともある(ちなみに大森は慶大からドラフト1位で入団した打者)。
打撃に関しては本人も自信があるのか、シーズン前のインタビューで今年の目標を尋ねられた際に「打率2割5分、本塁打10本」と力強く答え、インタビュアーは冗談とも本気ともとれずに困惑したことがある。

KKコンビ
前述のように高校時代の同級生である清原和博と併せて「KKコンビ」と呼ばれる。同級生の2人の選手が共に20年現役を続けたのは史上初である。
ドラフトでのトラブル以来、仲が悪くなってしまったといわれた清原和博との関係であるが、実際のところプロ入り後もしばしば連絡を取り合っており、険悪な関係ではない。ただしこの2人、高校時代から仲は悪くなかったがいつも2人でいるほど特別仲がよかった訳でもなかったらしい(高1の夏には甲子園の近くで2人でセミを捕っていたらしいから、それなりに仲は良かったのだろうが)。確かに実際問題、黙々と練習し、大の嫌煙家である桑田と、みんなでワイワイやるのが好きで、ヘビースモーカーである清原が2人で遊びに行くというのは考えにくい。結局のところ、二人とも「あいつより先に辞めたくない」という意思が強く、「良きライバル」と表現するのが無難と言える。
さらに詳しい内容はKKコンビを参照のこと。

CM出演
守護神 (声のみの出演) (2007年)

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